お茶の歴史(伝来) |
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静岡県は全国一のお茶の生産量と栽培面積を誇っています。静岡のお茶はどこから来たのでしょうか。お茶は現在の中国から伝えられたといわれています。また、日本に伝わってからどのように静岡に普及したのかを見ていきたいと思います。
静岡県にお茶を紹介したのは、駿河国栃沢(静岡市旧安部郡大川村、現静岡市郊外)に生まれた聖一国師(しょういちこくし)(1202〜1280)が、宋(中国)からお茶の種を持ち帰り出生地の近くの足久保にまいたのが最初だといわれています。聖一国師は静岡茶の祖といわれています。 お茶はもともと薬として飲まれてきました。それを安土桃山時代のはじめに、茶の湯として千利休が確立をしました。
明治維新になり、徳川藩士や大井川の川越人足などが職を失い、牧之原台地の開墾にあたりました。それによって日本一のお茶の生産地になっていきました。 また、茶園の広がりと共にお茶の品種改良も進んでいきました。杉山彦三郎(1857〜1941)は明治10年からお茶の優良種の開発に取りかかり優良品種の「やぶきた」を発見しました。このやぶきたの由来は竹やぶを開墾した試験園の北側に母樹があったために名付けられました。樹勢・品質の優秀性が認められ現在までやぶきたに勝る品種の開発は行われていません。現在全国のお茶の7〜8割がやぶきた品種で占められています。それほど優秀な品種ということです。 さらにお茶の普及を進めたものに機械化によるお茶の製造法の確立があります。高林謙三(1832〜1901)は明治18年にお茶の葉を蒸す機械の開発に成功すると共に特許を取りました。さらに、明治31年には製茶機械原理の元になるお茶の葉の荒揉機を完成された。これより、いままでは手で製造していたお茶が機械で製造されるようになりました。そのためお茶の製造生産性は飛躍的に向上しました。 以上のようにたくさんの人の苦労により、いまの生産量日本一の静岡茶が生み出されて行きました。現在でも、牧之原台地には県の茶業試験場があり日夜高品質なお茶の品種の改良と、生産性の向上の研究が行われています。 お茶の知識に戻る |
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